2015年4月22日水曜日

『帝国の慰安婦』における日本免罪論について

 『帝国の慰安婦』を特徴づけているのは「日本に対し『法的責任』を問いたくても、その根拠となる『法』自体が存在しない」(319ページ)という認識である。この認識は本書の各所で繰り返されている。「〔慰安婦の〕需要を生み出した日本という国家の行為は、批判はできても『法的責任』を問うのは難しい」(46ページ)、「強姦や暴行とは異なるシステムだった『慰安』を犯罪視するのは、少なくとも法的には不可能である」(172ページ)、「日本国家に責任があるとすれば、〔人身売買を〕公的には禁止しながら実質的には(個別に解放したケースがあっても)黙認した(といっても、すべて人身売買であるわけではないので、その責任も人身売買された者に関してのことに限られるだろうし、軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要だろう)ことにある」(180ページ)、「『慰安』というシステムが、根本的には女性の人権にかかわる問題であって、犯罪的なのは確かだ。しかし、それはあくまでも〈犯罪的〉であって、法律で禁じられた〈犯罪〉ではなかった」(201ページ)といった具合である(その他、33-34ページも参照)。  この議論の奇妙さは、「法的責任」を考えるにあたって刑法(〈犯罪〉)しか考慮に入れていないことと、さらに刑法の中でも略取誘拐の罪や強姦罪などしか考慮に入れていない、という点にある。  まず後者について述べると、周知のように当時の刑法においても「帝国外ニ移送スル目的ヲ以テ人ヲ売買シ又ハ被拐取者若クハ被売者ヲ帝国外ニ移送シタル者」は「二年以上ノ有期懲役ニ処ス」とされていた(海外移送罪、刑法226条後段)。また「営利又ハ猥褻ノ目的ヲ以テ被拐取者若クハ被売者ヲ収受シタル者」は「六月以上七年以下ノ懲役ニ処ス」ともされていた(収受罪、同227条後段)。この海外移送罪と収受罪(軍「慰安所」が「営利又ハ猥褻ノ目的」を持っていることは疑いの余地がない)が略取誘拐の被害者の海外移送・収受だけでなく人身売買された者の海外移送・収受をも処罰の対象としていることは重要である。朴裕河氏は「軍上層部がそうしたケースもあることを認知していたかどうかの確認も必要」としているが、平時の公娼制においても人身売買によってセックス・ワーカーが集められていたことは当時の常識に属することであり、略取誘拐ならばともかく人身売買の被害者を移送し、「慰安所」に収受していたことを軍中央が「認知」していなかったなどという弁明は、そうした常識を踏みにじるものだからである。  また91年以降の日本軍「慰安婦」問題において「補償」が焦点の一つだったことを考えれば、刑法に絞って「法的責任」を考えるのも奇妙と言わざるを得ない。元「慰安婦」たちが起こした訴訟の経緯を参照してみれば、『帝国の慰安婦』の誤りは直ちに明らかになる。アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求訴訟(1991年提訴)の高裁判決は、金学順さんら3名の元「慰安婦」の請求を棄却しつつも、日本政府の責任に関して次のように判断している(下線は引用者、引用文中の「被控訴人」は日本政府を指す)。
(4)民法の不法行為に基づく請求について、現行憲法下では、国家賠償法施行前における公務員の権力的作用に伴う損害賠償請求についても民法の不法行為による損害賠償請求を、いわゆる国家無答責の法理で否定すべきものと解されない。しかし、被控訴人が戦争を遂行する国の権力作用として命じ、ないしはそれに付随した行為に基づき軍人軍属関係の控訴人らに生じた損害につき、被控訴人が民法上の不法行為責任を負うか否かは、結局、安全配慮義務違反の事実があるか否かの判断と同じである。軍隊慰安婦関係の控訴人ら軍隊慰安婦を雇用した雇用主とこれを管理監督していた旧日本軍人の個々の行為の中には、軍隊慰安婦関係の控訴人らに軍隊慰安行為を強制するにつき不法行為を構成する場合もなくはなかったと推認され、そのような事例については、被控訴人は、民法 715 条 2 項により不法行為責任を負うべき余地もあったといわざるを得ない。
 日本の司法において日本軍・日本政府の「法的責任」を追及する試みが不発に終わったのは事実だが、それは「その根拠となる『法』自体が存在しない」からでは決してなかったのである。

(文責:能川 元一)

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